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第2回 早稲田会議 記念講演会 [MOT after Graduation]

 先日募集があったCEOラウンドテーブル早稲田会議の募集に、メールを送っておいたら忘れた頃に当選通知が届いたので早速行ってみました。ファーストリテイリング経営者の柳井社長の講演が聞けるなんてめったにないので、私もやや興奮気味ですね(笑)。久々に早稲田大学早稲田キャンパスにある井深ホールへ朝から行ってきました。中に入るのは2007年の入学式以来ですかね(笑)。

 それでは講演メモです。今回ちょっと長文になっていますであしからず(汗)。写真撮影、録音は禁止だったので、当日の写真はコチラを(笑)。 

1.震災後

 震災後北京と上海を訪問した。そこで「新しい都市はこういう物か」と感心したが、帰国したら真っ暗だった。街が昭和のように古く、これではアジアの大都市が東京から北京、上海、香港、シンガポールへ移ってしまうのではないかと思った。この地震で日本はメルトダウンして生活保護を受ける立場になってしまうのではないか。もっと賑やかに商売をしなければならない。海外からの研修生が帰国したまま日本に戻ってこない。両親からもどってこいと職場に直接電話がかかってくる。

 個人としてはどんなときも生き残らなければならない。その為には世界に出ることも考えなければならないが、突出したものがないと世界で評価されない。今が新しい日本企業に生まれ変わる為の岐路である。ところが最近の若者は競争のない行き方を志向している。これでは保守的なラテン民族化してしまうのではないか。バブル前に既に日本は停滞していた。バブルは価値が膨張しただけで成長ではない。ここから日本は凋落したのだが20年はあまりにも長い。日本はアメリカとアジアの中間という恵まれた立地にあるにも関わらず、これを生かし切っていない。

2.グローバル化

 世界に出ていくためには欧米人とは違う考え方をしなければならない。日本には着物の文化がある。個性は人にあるものなので服には個性は不要である。なんにでもコーディネートできる服をつくる。繊維はかつて日本の基幹産業だった。技術は依然として世界No.1であるにも関わらず、ビジネス構築能力が足りない。ユニクロの目標は世界一のアパレル製造会社になる為に、世界中の大都市で存在感No.1になることである。これを数字に置き換えると、2020年には売上高5兆円、経常利益1兆円となる。あと10年経ったらアジアの国は様変わりするはず。そこで圧倒的なNo.1になりたい。これからはアジアの企業がNo.1になる時代である。その為にはまず日本でNo.1になる。日本でNo.1にならないと世界で評価されない。

 お客様はNo.1ブランドから購入したいと思うもの。日本の強みは革新的な技術と世界最高の品質である。世界で日本人が一番品質にうるさい。きめ細かい店頭でのサービス、あらゆることを小さく小さく管理していく単品管理等である。ユニクロではベーシックな服が一番良いと考え、ブランド服とノーブランド服の壁を打ち破ってほんとうに良い服を作ることを目標にしている。このために生産の全てをコントロールしている。世界に進出するためには、ブランドとブランディングが大事である。これは企業の全ての活動を網羅する。残念ながら日本企業はこれに弱い。反対に一番強いのは欧州のラグジュアリーブランド、米のハイテクブランドである。「感情と共感」、「信用と信頼」、これがないと世界へ出て行けない。グローバル展開をしてグローバルに日本を代表するブランドになりたい。

 ワンプラットフォームとマイクロマネジメントと強い本社と強い現場で世界でひとつの会社になる。本社の担当者は最後の責任者、売り場の店長が最後の判断ができる。グローバルHQを自分たちで作っていく。外国人の採用を増やしていくので来年英語を社内公用語にする。日本語を捨てるつもりはないが、日本語はグローバル化にとってはマイナス要因である。世界中でコミュニケーションをとるなら英語しか無い。中国人、フランス人にも英語を習得してもらう。グローバルワン、全員経営を掲げている。命をかける真剣さと相手への思いやりを共存する。一見矛盾しているようだがこれを両立する。日本には海外のように階級がない。

3.ユニクロ沿革 

 ユニクロは1986年に広島の裏通りで起業した。当時より大手になることを目指していた。1985年に郊外店を始めたらファミリー客、カップル客が多いのに気づき、オールエイジ、ユニセックス、あらゆる人に服を売っていきたいと思った。1994年に広島証券取引所に上場、1998年にフリースが大ヒットして全国ブランドになった。ユニクロ創業時にはちょうどアメリカでベンチャー企業が勃興していた時期だが我々もそうなりたいと思ったのがここまでこれた理由ではないのか。今や世界第4位の規模になった。

4.これからのファーストリテイリング

 ファーストリテイリングの成功要因としては、下記2点が挙げられる。

①リスクを持ってやってきた企業姿勢

 アメリカに進出したとき最初は郊外のモールに出店したが、全く売れなかった。しかたがないので事務所があるニューヨークのソーホー(東京で言えば原宿)で在庫処分をしたら何倍も売れた。ユニクロはこのような賑やかなところじゃないと売れないと思い、ニューヨークで2番手の規模の店舗を通常であれば開店まで2年かかるところを9ヶ月で開店に漕ぎ着けた。

②時代性と革新性

 (1)フリース アウトドア製品を輸入して売ったらよく売れたのでそのなかのフリースを内製して大幅にコストダウンしたら大ヒットした。(2)ヒートテック 体を温める下着は潜在需要があった。縫製は主に中国の工場で行っているが、中国の工場は、ひとつの工場が村そのものになっている。村長クラスが社長に就任しており大変優秀だ。このような世界の経営者とのパートナーシップが重要である。

③ユニクロの服

 made for all。あらゆる人のために作った高額所得者でも買ってもらえる安い服、センスのよい人にも買ってもらえる服。国籍、地域に関わらず買ってもらえる服を目指す。アパレルメーカーの発達の段階は、第一段階 単品ベーシック、コアアイテム、色サイズの充実。第二段階 トータルコーディネート。第三段階 コンセプトコンテンツの開発、革新的な技術とイノベーション、高度な技術を持つ会社と共同開発する。ユニクロの使命は革新的なカジュアルウェアをつくることである。

「ユニクロはあらゆるひとが良いカジュアルが着られるようにする新しい日本企業です。」

 さて第二部は柳井社長jとWBS内田教授との対談です。

1.東日本大震災

内田先生:柳井さんは震災後早期の3/14に支援を表明した。金額はともかくグローバル企業の判断だなと思った。

柳井社長:企業としてどうすれば良いか考えた。日本はバブル後20年間停滞していたので早期復興が必要だと考えた。日本を代表する企業が行動を起こすことで他が追従してくれれば良いと思った。ユニクロは150店舗被災した。従業員は皆無事だったが、従業員の家族が3、40人亡くなった。

2.講演について

内田先生:グローバル化と言っても世界基準にただ合わせるのではなく、「グローバルスタンダードと日本の良さを合わせてユニクロ流にやる」と理解した。日本人の課題は内弁慶で競争を好まないところである。「世界の大都市で存在感No.1になる」等、ビジョンと戦略がリンクしている社員が分かりやすい言葉に落とすのがうまいと思った。なぜソニーストアはもっと良い場所に作らないのか。ソニービルは先進的だったと思う。ブランドともっと組み合わせれば、ここまでアップルの後塵を拝することは無かったのでは。

柳井社長:会社と商品を理解してもらうにはショーケース+大都市が必要だ。知られていないものは売れない、ニュージャージーで失敗したのも原因はそこだった。良い場所に大きな店を出すのが王道である。ショーウィンドー効果と言えば、マクドナルドの国内1号店は銀座だった。アップルストアの出店の仕方がアパレルに似ているのは、アップルの取締役にGAPの元CEOがいるからだろう。

3.グローバル化

内田先生:グローバル化を意識しだしたターニングポイントは何か。

柳井社長:1986年に香港でビジネスをしたときに、香港企業は国境がなかった。国境が無い方がやりやすかった。新しいものは新しいところで作らなければならない。

4.日本メルトダウン

内田先生:日本のサラリーマンに変わってもらいたいところは。日本人は内弁慶なところがある。

柳井社長;ユニクロの社員にもそういうのはある。海外へ日本人を派遣すると、海外店舗で日本人が作業をしてしまう。店長、スーパーバイザーの率先垂範は大事だが、(海外)派遣の目的は管理職である。海外の従業員は日本以上に上司を気にする。上司が作業をすると自分の仕事を取られたと思っている。海外で気をつけたいのは、①日本人だけで仕事をしない、②日本人だけで仕事をしない、③現地の人の輪を作る。グローバルに生きる覚悟が必要。今の延長線上ではグローバルにならない。

5.ユニクロの成功要因

内田先生:ユニクロだから出来たのであって、ウチの会社持できないよと思考停止になるものがいる。どう打ち破れば良いのか。

柳井社長:海外へ行ったら自分より能力の低い人が管理職をやっている。日本はいままでたまたま良い市場だったがこれから可能性が低くなる。日本全体が出身地の宇部のシャッター外のようになってしまうのではないか。社内の信念の挨拶で「Change or Die(変わらなければ死)」と言った。「私が頑張っても仕様がない」ではなくて、「国がダメなら俺がやる」位の気概が欲しい。バブル期以降最初に回復したのは企業である。2000年以降は好業績である。次は個人なのではないか。

6.学生へメッセージ

内田先生:最近の学部生は大企業に行きたがる、転職したがらない、最近の早稲田の学生もそうだったので驚いた。

柳井社長:学生の時はのらくらしていた。社会で何をするのか早く決めて欲しい。社会は安定から程遠い。生き延びる術を身につかる。学生にはもっと怒ってもらいたい。国、行政には頼らずに自分で変えていく。生きて行くことに関して貪欲になってもらいたい。

CEOラウンドテーブル 早稲田会議

早稲田会議無事終了(内田和成のビジネスマインド)


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